言葉
何年もブログを書いてきて、今更言うのもなんなんですが、言葉、って苦手なんです。
自分にとっての言葉は、単に、何かを他の人に伝えるための道具。文章が、良い文章なのか悪い文章なのかは、書かれている事が伝わりやすいかどうか、だけで判断されます。
でも、言葉ってそれだけじゃないんですよね。例えば詩なんていうのは、分かりやすくするのが目的じゃなくて、特定の言葉、言葉の組み合わせを選ぶ事自体で、表現をしているわけです。小説でもなんでも、文学作品なら多少はその傾向があります。苦手、というのは、この発想が自分の中からはなかなか出てこないということ。
同じ理由で、歌詞、も苦手です。
歌を聴いているときは大抵、声は単に音として聴いています。たまに、この歌詞はいいな、または酷いな(笑)、とふと気付いたりしますが、気付かなければ単にもう1つの楽器として聴くだけ。
だから、外国語の歌でも全く気になりませんし、自分の好きな歌手というのは、声が綺麗な人や、(音として)面白い歌い方をする人。
人の言葉を引用するなんて言うのも、とても出来たものではないです。言葉を読んだり聞いたりした時点で、表されている概念に脳内で変換されているので、どの言葉がどういう順番で使われていたのかなんて忘れてしまうんですね。
もっと詩的な表現などを、理解出来るように、使えるようになりたいなとは思ったりもしますが、頭の構造的にどうも難しいようです。鍛えようと思っても、躓いてばかりですからね。あまり楽しいとは言えないです。壁を通り抜けて、楽しめるようになるという保証もありませんし。
でも、芸術が分からない、とかいう話ではないですから。ブログを読んでくれている方なら知っていることですが、音楽や絵画は好きなんです。
だから、言葉だけはドライな方に特化してしまって、勝手にそっちで楽しんでいた方がいいのかも、という結論になるのかな。
自分にとっての言葉は、単に、何かを他の人に伝えるための道具。文章が、良い文章なのか悪い文章なのかは、書かれている事が伝わりやすいかどうか、だけで判断されます。
でも、言葉ってそれだけじゃないんですよね。例えば詩なんていうのは、分かりやすくするのが目的じゃなくて、特定の言葉、言葉の組み合わせを選ぶ事自体で、表現をしているわけです。小説でもなんでも、文学作品なら多少はその傾向があります。苦手、というのは、この発想が自分の中からはなかなか出てこないということ。
同じ理由で、歌詞、も苦手です。
歌を聴いているときは大抵、声は単に音として聴いています。たまに、この歌詞はいいな、または酷いな(笑)、とふと気付いたりしますが、気付かなければ単にもう1つの楽器として聴くだけ。
だから、外国語の歌でも全く気になりませんし、自分の好きな歌手というのは、声が綺麗な人や、(音として)面白い歌い方をする人。
人の言葉を引用するなんて言うのも、とても出来たものではないです。言葉を読んだり聞いたりした時点で、表されている概念に脳内で変換されているので、どの言葉がどういう順番で使われていたのかなんて忘れてしまうんですね。
もっと詩的な表現などを、理解出来るように、使えるようになりたいなとは思ったりもしますが、頭の構造的にどうも難しいようです。鍛えようと思っても、躓いてばかりですからね。あまり楽しいとは言えないです。壁を通り抜けて、楽しめるようになるという保証もありませんし。
でも、芸術が分からない、とかいう話ではないですから。ブログを読んでくれている方なら知っていることですが、音楽や絵画は好きなんです。
だから、言葉だけはドライな方に特化してしまって、勝手にそっちで楽しんでいた方がいいのかも、という結論になるのかな。